政治家でありYouTuberとしても活動する立花孝志氏は、その異色の経歴で常に注目を集めています。
彼のキャリアの原点である学歴、特に大学進学の有無や出身高校に関心が寄せられています。
この記事を読むと以下のことがわかります。
- 立花孝志氏の最終学歴と出身高校の詳細
- 立花孝志氏が大学に進学しなかった理由
- 壮絶だったとされる幼少期から学生時代の生い立ち
- 高校卒業からNHK入局に至った経緯
立花孝志の学歴詳細|出身高校(信太高校)と大学進学の有無
立花孝志氏の最終学歴は「高等学校卒業」です。
元NHK職員、ましてや国政政党の党首という経歴から、多くの人が大学卒業を想像するかもしれませんが、彼は大学には進学していません。
出身高校は大阪府立信太高校

立花孝志氏の出身高校は、大阪府和泉市にある
です。
1983年4月に入学し、1986年3月に卒業しました。
信太高校は1983年に開校した比較的新しい学校(当時)であり、立花氏はその1期生にあたります。
複数の情報源によれば、当時の同校の偏差値は39程度とされており、学力面で高い水準の高校ではありませんでした。
実際に立花氏自身も、家から一番近いという理由だけで同校を選んだと語っています。
しかし、彼自身は学力に自信があったようで、

(当時は)偏差値73とされる大阪府立三国丘高等学校にも合格できる学力があった
と公言しています。
この発言の真偽は定かではありませんが、高校時代は試験前しか勉強しなかったにもかかわらず、成績は常に学年トップだったとも述べており、基礎学力の高さをうかがわせます。
なお、信太高校の著名な卒業生には、歌舞伎役者の片岡愛之助さんがいます。
大学には進学せずNHKへ
立花孝志氏は高校卒業後、大学には進学しませんでした。
1986年3月に信太高校を卒業すると、同年4月、18歳の若さで日本放送協会(NHK)に入局しています。
高校時代、漠然と大学への進学も考えていたようですが、最終的には就職を選択します。
これは、高校3年生の時の進路指導の先生からNHKの採用試験を強く勧められたことが直接のきっかけとなりました。
当時の時代背景として、現在ほど厳格な学歴フィルターはなく、高卒者が大手企業に就職する道も開かれていました。
とはいえ、偏差値30台の高校からNHK本体に採用されるのは異例であったと考えられます。
これには、彼の優秀な成績に加えて、後述する採用試験での特異なアピールが功を奏したとされています。
立花孝志の学歴を形成した壮絶な生い立ちと学生時代


立花孝志氏の「大学に進学せず高卒で働く」という現実的な選択、そしてその後のNHKに対する強い問題意識は、彼の幼少期からの壮絶な生い立ちと学生時代の経験に深く根差しています。
両親のW不倫とネグレクト(幼少期)
立花氏は1967年8月15日、大阪府泉大津市で生まれました。
彼が幼い頃、家庭環境は極めて不安定でした。
複数のインタビューで彼が語った内容によれば、父親には愛人がおり、それを知った母親も近所のパチンコ屋のマネージャーと不倫関係になるという「W不倫」状態だったとされます。
立花氏が5歳になる頃に両親は離婚(後に再婚)。
彼は父親に引き取られましたが、その父親も仕事や付き合いの麻雀などで帰宅が遅く、育児放棄(ネグレクト)状態に置かれました。
父親は毎日1000円を置いていくものの、子供たちと顔を合わせることは稀でした。
入浴や歯磨きの習慣も身につかず、歯は虫歯だらけになったといいます。
両親不在の家では、3歳年上の姉から木刀で殴られるなどの虐待を受けていたとも明かしています。
小学校時代からアルバイトと栄養失調
出身小学校は泉大津市内の公立校(上條小学校または条東小学校の校区)とされますが、校名は特定されていません。
家庭は経済的に困窮しており、生活費が足りなかったため、立花氏は小学5年生から新聞配達のアルバイトを始めました。



団地でひとりぼっちだった
と当時を振り返っており、学校給食以外にまともな食事はとれず、父親から渡されるお金はゲームセンターや駄菓子に消えていきました。
その結果、小学5年生の時に栄養失調で倒れ、病院に運ばれた経験も持っています。
この入院をきっかけに両親は再婚し、母親が家に戻りましたが、家庭内の冷え切った関係は変わらなかったとされます。
彼にとって唯一の心の支えは、淡路島に住む祖父(大阪淡路島間の連絡船の所長)でした。
春休み、夏休み、冬休みになるとすぐに淡路島へ向かい、祖父の仕事(キップ切りなど)を手伝うことを好んでいました。
この祖父から



自分の為に生きるな。公の為に尽くせ。嘘はつくな
という教えを受け、これが後の彼の価値観に大きな影響を与えたと語っています。
また、小学校の社会科の授業で、NHKラジオがミッドウェイ海戦で「日本軍大勝利」と嘘の放送をしたと学び、この頃からメディア(NHK)のあり方について考えるようになったとされています。
出身中学校(泉大津市立小津中学校)時代
出身中学校は、地元の泉大津市立小津中学校です。
当時の泉州地区は気性の荒い地域性で知られ、立花氏も



毎日ケンカに明け暮れていた
と語っています。
一方で、自身がいじめの対象となり、前歯を折られたり、教科書にコーラをかけられたり、後ろから跳び蹴りをされたりした辛い経験も明かしています。
中学時代も新聞配達のアルバイトを継続していたため、部活動には所属していませんでした。
高校時代は一人暮らしとアルバイト三昧
1983年に大阪府立信太高校に入学すると同時に、立花氏は実家を出て一人暮らしを始めます。
住んでいたのは風呂なし、トイレなしのアパートだったとされます。
学費と生活費をすべて自分で稼ぐ必要があり、高校時代はまさにアルバイト一色の生活でした。
- 早朝3時起きの新聞配達
- ガソリンスタンド
- 祖父が所長をしていた連絡船のキップ切り
こうした労働に加え、当時からパチンコも重要な収入源でした。
数学的思考を活かしたのか、3か月で400万円を稼いだこともあり、その金でクラス全員にファミレスでご馳走することもあったといいます。
当時は柄の入ったシャツにサングラスをかけるなど、いわゆる「チンピラ」のような風貌でしたが、学校の不良グループとは一線を画していたとのこと。
前述の通り、勉強は試験前しかしないものの、成績は常に学年トップを維持していました。
学歴(高校卒)からNHK入局、そして政治家への経歴


大学に進学せず、偏差値39とされる高校からNHKに入局し、最終的に国政政党の党首となる彼の経歴は、日本の政治家の中でも極めて異例です。
異例のNHK採用試験
高校3年生の時、進路指導の先生の勧めでNHKの採用試験(1985年10月)を受けました。
この面接が彼の運命を決定づけます。
他の受験者の面接時間が5分程度で終わる中、立花氏の面接は約1時間に及びました。
面接の中で、立花氏は自ら



(実家が)受信料を払っていない
と衝撃の自己申告をします。



受信料を支払っていない家の子を採用するわけにはいかない
という面接官に対し、彼はひるむことなく持論を展開しました。



不払いの家庭に育ったからこそ、不払い者の気持ちが分かる



自分ならこうやって受信料を徴収する
と具体的な方法論を提示し、面接官と議論になったとされます。
小学校時代から抱いていたNHKへの問題意識、公共放送のあり方に対する熱意、そして何より
が、当時の採用担当者の目に留まったと考えられます。
結果、1週間後に内定通知が届きました。
NHK職員としての経歴
1986年4月、18歳でNHKに入局。
約19年間にわたる職員生活で、主に経理・庶務畑を歩みます。
- NHK和歌山放送局 庶務部(1986年〜)経理や広報などを担当。
- NHK大阪放送局 経理部(1991年〜)この時期、1学年下の有働由美子氏も大阪局に在籍しており、面識があったと語っています。
- NHK本部報道局 スポーツ報道センター(1998年〜)企画・制作を担当。
- NHK本部編成局 経理(2004年〜)
順調にキャリアを積んでいるように見えましたが、2005年、彼自身が関わったとされる不正経理(ソルトレーク五輪関連の裏金作り)を週刊文春に内部告発。
この告発が引き金となり、NHKからも立花氏自身の不正経理を理由に懲戒処分を受け、同年7月に依願退職する形でNHKを去りました。
退職後、パチプロから政治の世界へ
NHK退職後の経歴も異色です。
まず、NHK在職中から年間1000万円以上稼いでいたというパチンコの腕を活かし、パチプロとして生計を立てます。
自らが元締めとなり、フリーターなどを「打ち子」として雇う「チーム立花」を組織していましたが、2011年に打ち子の少女2人に現金約68万円を持ち逃げされたことをきっかけに廃業。
その後はフリージャーナリストとして活動し、2013年6月、「NHKから国民を守る党(現:NHK受信料を支払わない国民を守る党)」を設立し、政治活動を開始します。
2013年の大阪府摂津市議選、2014年の東京都町田市議選では落選しますが、2015年の千葉県船橋市議会議員選挙で初当選。
その後、東京都葛飾区議会議員などを経て、2019年7月の参議院議員選挙(比例区)で当選し、国政進出を果たしました。
まとめ:立花孝志の学歴:大学進学せず信太高校からNHKへ
立花孝志氏の学歴と経歴について、以下の5点にまとめます。
- 立花孝志氏の最終学歴は「大阪府立信太高等学校」卒業であり、大学には進学していません。
- 出身高校の偏差値は当時39程度とされますが、本人は学年トップの成績だったと語っています。
- 高校時代は実家を出て一人暮らしをしながら、複数のアルバイトを掛け持ちして学費と生活費を稼ぐ苦学生でした。
- 幼少期は両親のW不倫やネグレクト、貧困など壮絶な家庭環境で育ちました。
- 高校卒業後、異例の採用面接を経てNHKに入局し約19年勤務。退職後はパチプロを経て政治家になっています。



幼少期は色々とあったようですね。













