
人気お笑いコンビ「ママタルト」のボケ担当、大鶴肥満さん。
180kgを超える巨体と愛らしいキャラクターで人気を集めていますが、実は明治大学を卒業した高学歴芸人であることをご存知でしょうか。
しかも出身高校は偏差値70に迫る進学校ですが、そこでは壮絶ないじめを経験していました。
この記事を読むと、以下のことがわかります。
- 大鶴肥満さんの最終学歴が〇〇大学情報コミュニケーション学部であること
- 出身高校は都内の進学校「〇〇高校」で、一般入試で合格した秀才であること
- 高校時代に体重が原因で受けた陰湿ないじめと、それを乗り越えた方法
- M-1グランプリ2024、2025と2年連続決勝進出を果たした現在の活躍
ママタルト大鶴肥満の最終学歴は明治大学!お笑いサークルで才能が開花

ママタルトの大鶴肥満さんは、見た目のインパクトからは意外に思われることもありますが、非常に優秀な頭脳を持つ「高学歴芸人」の一人です。
彼の最終学歴は、私立の伝統ある大学として知られる明治大学です。
ここでは、大学時代の学部や偏差値、そして芸人としての原点となったサークル活動について詳しく解説します。
早稲田落ちの明治大学情報コミュニケーション学部
大鶴肥満さんが卒業したのは、
この学部の偏差値は63前後とされており、明治大学の中でも人気の高い学部の一つです。
大鶴さんは指定校推薦や内部進学ではなく、一般入試で受験して合格を勝ち取っています。
実は、当時の第一志望は早稲田大学でした。
しかし、残念ながら早稲田大学には不合格となってしまい、明治大学へと進学することになりました。
インタビューなどでは「早稲田落ちの明治」と自虐的に語ることもありますが、一般入試で明治大学に合格すること自体が非常に高い学力を証明しています。
大学では「情報コミュニケーション」という、現代社会における情報の伝達やメディアについて学ぶ学部に所属していました。
今の芸人活動において、SNSやYouTubeを駆使してファンと交流したり、情報を発信したりする能力は、この大学時代に培われたものかもしれません。
勉強もできて、ユーモアもある。
そんな大鶴さんの知的な一面は、漫才のネタ作りやトークの端々に垣間見ることができます。
名門サークル「木曜会Z」と「大鶴義丹」との出会い
明治大学に入学した大鶴さんは、お笑いサークル「木曜会Z(もくようかいゼット)」に所属しました。
このサークルは、大学お笑い界では非常に有名な名門サークルです。
同期にはピン芸人のサツマカワRPGさんがおり、切磋琢磨しながらお笑いの腕を磨いていました。
当時は本名の「粕谷明弘(かすや あきひろ)」で活動しており、「カステラ」というコンビを組んで漫才を披露していたそうです。
そして、大学3年生の時に運命の転機が訪れます。
サークルの先輩から
「お前、俳優の大鶴義丹に似てるな」
と言われ続けたことがきっかけでした。
当時放送されていた人気番組「笑っていいとも!」のそっくりさんコーナーのオーディションを受けたところ、見事に合格。
テレビに出演し、タモリさんからもいじられたことで、「大鶴肥満」という芸名が誕生することになります。
また、現在彼の代名詞となっているギャグ「まーごめ」もこの時期に生まれています。
これは大鶴義丹さんが過去の謝罪会見で発した「まーちゃんごめんね」という言葉を略したものです。
大学時代のサークル活動や先輩との交流がなければ、今の「大鶴肥満」というキャラクターは存在しなかったかもしれません。
まさに、明治大学で過ごした日々が、芸人としての彼を形作る重要な期間だったと言えるでしょう。
出身高校は偏差値70の錦城高校!壮絶ないじめを乗り越えた過去

明治大学に進学する前、大鶴肥満さんが通っていたのは東京都小平市にある
ここは都内でも有数の進学校として知られていますが、大鶴さんにとっては苦難の連続でもありました。
高校時代の学力レベルと、そこで経験した壮絶ないじめについて深掘りしていきます。
勉強が得意で一般入試で合格した進学校
錦城高校は、特進コースの偏差値が70、進学コースでも66程度と言われるハイレベルな進学校です。
卒業生には、タレントの所ジョージさんやB’zの松本孝弘さん、俳優の吉沢悠さんなどが名を連ねています。
大鶴さんはこの高校に一般受験で合格しました。
中学時代から勉強が得意で、成績も優秀だったことがうかがえます。
高校では軽音楽部に所属し、ドラムやサックスを演奏するなど、音楽好きな一面もありました。
しかし、当時の彼は体重が120kgから130kg近くあり、その巨漢ぶりが原因でクラスの中で目立つ存在となっていました。
進学校という真面目な環境の中で、彼の特異なキャラクターは時に周囲との摩擦を生むことになってしまったのです。
体重130kgで受けた陰湿な「精神的いじめ」
高校時代の大鶴さんは、クラスメイトから壮絶ないじめを受けていました。
本人がインタビューで語るところによると、体が大きすぎて反撃されるのを恐れられたのか、殴ったり蹴ったりという「物理的ないじめ」はほとんどなかったそうです。
その代わりに、「精神的に追い詰める陰湿ないじめ」が横行していました。
例えば、提出しなければならないプリントがいつの間にかなくなっていることがありました。
先生に怒られて再提出しようとすると、いじめの主犯格が、盗んだ大鶴さんのプリントの名前を自分の名前に書き換えて提出していたことが発覚したそうです。
また、学校に持参したペットボトルのお茶を飲もうとしたら、中に誰かが噛んだガムが混入されていたという衝撃的なエピソードもあります。
さらに、自転車が池に捨てられていたり、制服のブレザーがチョークの粉で真っ白に汚されていたりすることも日常茶飯事でした。
これらは明らかに「いたずら」の範疇を超えた、悪質な嫌がらせです。
多感な高校生時代に、これほどまでの仕打ちを受けることは、想像を絶する苦しみだったに違いありません。
それでも彼は学校を休むことなく通い続けました。
担任の先生は新任の教師で、大鶴さんを心配して
「大丈夫?不安になったら言ってね」
と頻繁に声をかけてくれたそうです。
しかし、大鶴さんにとっては、その優しさが逆に

「自分はいじめられている惨めな存在だ」
と自覚させられるようで、辛く感じることもあったといいます。
いじめを「笑い」に変えて生き抜いた強さ
そんないじめの地獄の中で、大鶴さんが選んだ対抗策は「笑い」でした。
彼は、



「ここで怒ったり泣いたりしたら、自分の居場所が本当になくなる」
と悟っていました。
そのため、何をされても



「まあ、俺は太ってるからな」
と自虐的に振る舞い、明るく笑い飛ばすという「道化」を演じることで自分を守ったのです。
いじめられている事実を認めるのではなく、「いじられキャラ」としてポジショニングすることで、精神的なダメージを回避しようとしたのかもしれません。
高校3年生の時には体重が130kgに達していましたが、座高測定で99cm、握力測定で85kgという数値を叩き出し、周囲を驚かせました。
先輩から
「お前もう終わったな」
と言われたそうですが、そうした自身の身体的特徴すらもネタにして、周囲とのコミュニケーションに変えていったのです。
この「辛い状況を笑いに変える」という経験が、現在のお笑い芸人としての強靭なメンタリティに繋がっていることは間違いありません。
高校時代のいじめは決して許されることではありませんが、大鶴さんはその経験を乗り越え、誰よりも優しい笑顔で人を笑わせる芸人へと成長しました。
地元の小中学校と厳格な父、そしてM-1決勝への軌跡


ここでは、大鶴肥満さんのルーツである地元の小中学校時代や家族との関係、そして現在のお笑い界での活躍ぶりについて紹介します。
幼少期から現在に至るまでの道のりを知ることで、彼の魅力がより深く理解できるはずです。
練馬区の公立小中学校で育った幼少期
大鶴肥満さんは東京都練馬区の出身です。
出身小学校や中学校の校名は公式には公表されていませんが、地元の公立校であることは間違いありません。
一部の情報では、練馬区立石神井西小学校、石神井西中学校の出身ではないかと言われています。
幼少期から体は大きく、小学校6年生の時点ですでに体重は65kgありました。
当時の担任の先生から夏休みの自由研究として「ダイエット」を命じられ、レコーディングダイエットに挑戦して10kgの減量に成功したというエピソードも残っています。
中学生になると成長はさらに加速し、毎年身長が10cm、体重が10kgずつ増えていくという驚異的なペースで大きくなっていきました。
中学3年生の頃には身長160cm、体重100kgに達しており、クラスでもひときわ目立つ存在だったことでしょう。
また、中学1年生の時に好きな女の子へ電話で告白したところ、その情報がまたたく間に広まってしまい、卒業まで「テル(テレフォン)」というあだ名で呼ばれ続けたという、少し切ない思い出もあります。
「テレビはバカが見るもの」厳格な父の反対
大鶴さんの実家はお惣菜屋さんを営んでおり、家族構成は両親と4つ上の兄の4人家族です。
お兄さんは大鶴さんとは対照的に痩せていて、現在は公務員として働いているそうです。
実は、大鶴さんのお父さんは非常に厳格な方でした。
家では
「テレビはバカが見るものだ」
という教育方針で、バラエティ番組を見ることを好ましく思っていなかったそうです。
そのため、大鶴さんが、



「お笑い芸人になりたい」
と告げた時には、猛烈に反対されました。
明治大学という名門校を卒業し、塾講師として就職した息子が、不安定な芸人の道に進むことを心配するのは親心として当然かもしれません。
しかし、大鶴さんは自分の夢を諦めきれませんでした。
大学卒業後、一度は就職したものの、23歳の時に太田プロダクションの養成所に入所し、本格的に芸人を目指すことを決意します。
そこで現在の相方である檜原洋平さんと出会い、「ママタルト」を結成することになったのです。
厳格な父の反対を押し切ってまで選んだ道だからこそ、大鶴さんのお笑いに対する情熱は本物です。
2024年、2025年と2年連続M-1決勝進出の快挙
ママタルト結成後、大鶴さんはその巨体を活かしたボケと、「まーごめ」などのキャッチーなフレーズで徐々に頭角を現していきました。
そして、漫才師にとって最大の目標である「M-1グランプリ」でも結果を残し始めます。
2022年、2023年と準決勝まで進出し、敗者復活戦でも大きな爪痕を残しました。
そして迎えた2024年のM-1グランプリ。
ママタルトは悲願の決勝進出を果たしました。
結果は10位と振るいませんでしたが、全国の視聴者に「ママタルト」の名前と面白さを知らしめる大きな一歩となりました。
さらに、その勢いは止まりません。
翌2025年のM-1グランプリでも、彼らは再び決勝進出を決めたのです。
2年連続のファイナリスト選出は、彼らの実力がフロックではなく本物であることを証明しています。
高校時代にいじめられ、父親に反対されながらも貫いたお笑いの道。
かつて教室の隅でプリントを隠され、惨めな思いをしていた少年は今、日本中が注目する大舞台でスポットライトを浴びています。
まとめ:ママタルト大鶴肥満の学歴を徹底調査!大学はどこ?高校時代の壮絶ないじめとは
ママタルト大鶴肥満さんの学歴と、それにまつわるエピソードを紹介してきました。
最後に、この記事のポイントをまとめます。
- 大鶴肥満さんの最終学歴は、偏差値63前後の明治大学情報コミュニケーション学部です。
- 大学受験では一般入試で合格しており、第一志望は早稲田大学でした。
- 出身高校は東京都小平市にある偏差値70級の進学校「錦城高校」です。
- 中学時代から成績優秀で、一般受験で錦城高校に入学しました。
- 高校時代は体重130kgを超える巨体ゆえに、陰湿な精神的いじめを受けていました。
- いじめに対して怒るのではなく「自虐的な笑い」で返すことで自分を守りました。
- 大学時代のお笑いサークル「木曜会Z」で、現在の芸名やギャグ「まーごめ」が誕生しました。
- 厳格な父親の反対を押し切り、一度就職した後に芸人の道へ進みました。
- M-1グランプリ2024で初の決勝進出を果たし、10位という結果を残しました。
- 2025年のM-1グランプリでも2年連続で決勝進出を決め、現在ブレイク中の芸人です。
高学歴という知性と、いじめを乗り越えた強靭な精神力。
そして何より、見る人を幸せにするあの笑顔。
ママタルト大鶴肥満さんの今後のさらなる活躍から目が離せません。



今後のご活躍を期待します。











