【2025最新】浅間山荘事件の犯人たちのその後|死刑囚、逃亡、社会復帰まで

1972年に日本中を震撼させた連合赤軍による「あさま山荘事件」。

人質を取り10日間にわたり籠城した犯人たちは、逮捕後、それぞれ全く異なる人生を歩んでいます。

この記事では、事件の主犯格とされた5人の現在に至るまでの経緯を詳しく解説します。

この記事を読むと以下のことが分かります。

この記事でわかること
  • 逮捕された犯人5人それぞれの判決内容
  • 死刑判決が下りながらも、執行されていない人物がいる理由
  • 超法規的措置により国外へ逃亡し、今なお国際手配されている人物の存在
  • 刑期を終え、社会復帰を果たした人物の現在の活動
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目次

浅間山荘事件の犯人5人、その後の詳細な軌跡

あさま山荘事件で逮捕されたのは、坂口弘(当時25歳)、坂東國男(当時25歳)、吉野雅邦(当時23歳)、加藤倫教(当時19歳)、加藤元久(当時16歳)の5名です。

彼らのその後の人生は、判決、そして自らの選択によって大きく分岐しました。

死刑囚、国際指名手配犯、無期懲役囚、そして社会の一員へ。

それぞれの詳細な軌跡を追います。

坂口弘:死刑判決と獄中での思索

事件前の経歴と役割

千葉県出身の坂口弘は、東京水産大学(現・東京海洋大学)在学中に学生運動に参加。

その後、革命左派に加わり、連合赤軍ではNo.3の立場となりました。

山岳ベースでの同志粛清事件にも深く関与し、リーダーであった森恒夫、永田洋子の逮捕後は、残ったメンバーのリーダー格として逃亡を続けていました。

あさま山荘を発見し、人質を取って立てこもることを決断したのも彼でした。

判決とその後の人生

事件の総指揮者とされ、山岳ベース事件なども含めて16件の殺人罪などで起訴されました。

裁判では一貫して罪を認め、1993年に最高裁判所で死刑判決が確定しています。

しかし、2024年現在も彼の死刑は執行されていません。

これは、共犯者である坂東國男が国外逃亡中で裁判が終結していないことが影響しているとされています。

1975年のクアラルンプール事件では、日本赤軍から釈放要求リストに名前が挙がりましたが、坂口は国際電話で「自分は行かない。武装闘争は間違った闘争との結論を出しています」と述べ、国外逃亡の機会を自ら拒否しました。

獄中では、革命左派の同志であった永田洋子と事実婚の関係となり、短歌の創作にも打ち込みました。

その作品は『坂口弘 歌稿』として出版されています。

現在は東京拘置所に収監され、静かにその時を待つ日々を送っているとされます。

坂東國男:釈放、逃亡、そして国際指名手配犯へ

事件前の経歴と役割

滋賀県の裕福な家庭に生まれ、京都大学農学部に進学しましたが中退。

赤軍派に加わり、資金調達のための金融機関強盗(M作戦)に関与しました。

あさま山荘事件では、籠城中に機動隊隊長の内田尚孝警視を狙撃して死に至らしめるなど、最後まで激しく抵抗しました。

彼の逮捕が報じられた日、父親は人質へのお詫びと家族への気遣いを記した遺書を残し、自ら命を絶っています。

判決とその後の人生

犯人の中で唯一、赤軍派の出身であった坂東國男は、逮捕・収監されましたが、その運命は1975年に大きく変わります。

日本赤軍がマレーシアで起こしたクアラルンプール事件で、人質解放の交換条件として「超法規的措置」により釈放され、国外へ脱出しました。

その後、日本赤軍に正式に合流し、重信房子の側近として活動。

1977年のダッカ日航機ハイジャック事件にも関与したとされ、現在も国際指名手配中です。

警察庁の発表によると、中東を拠点に活動し、中国やネパール、ルーマニアなど複数の国への入国履歴があるとされていますが、70歳を超えた今、その消息は不明な点も多くなっています。

彼の逃亡により、あさま山荘事件は今なお完全には終結していないのです。

吉野雅邦:同志と妻を失い、無期懲役囚として

事件前の経歴と役割

都立日比谷高校から横浜国立大学経済学部に進学。

学生運動に参加し、革命左派に加わりました。連合赤軍には妻と共に参加しましたが、その妻は山岳ベース事件で「総括」の対象となり、リンチの末に命を落とすという悲劇に見舞われています。

あさま山荘事件では、説得にあたった自身の母親が乗る装甲車に向けて発砲するなど、最後まで強硬な姿勢を崩しませんでした。

判決とその後の人生

逮捕後の取り調べでは、捜査官から亡くなった妻と、そのお腹にいた子の写真を見せられ、当初は現実を受け入れられなかったといいます。

裁判では検察から死刑を求刑されましたが、一連の事件において首謀者ではなく、あくまで実行犯としての立場であったことなどが考慮され、無期懲役判決が確定しました。

1983年から千葉刑務所に服役しており、現在も服役中です。

刑務所内では「あさまさん」と呼ばれ、高齢や障害を持つ受刑者の世話役を担っていると報じられています。

獄中では、事件に関する詳細な手記を執筆し、支援団体を通じて公開しており、事件の全体像を伝えようとしています。

加藤兄弟:過酷な経験を経た未成年たちの道

事件当時19歳と16歳の未成年であった加藤兄弟は、実の兄(加藤能敬)の影響で革命左派に参加しました。

しかし、山岳ベース事件では、その実の兄を自分たちの手で「総括」のリンチにかけ、死なせてしまうという壮絶な経験をしています。

加藤倫教(兄):社会復帰と思想的転向

兄の倫教(当時19歳)は「少年A」として報道されました。

懲役13年の実刑判決を受け、三重刑務所に服役。

1987年に仮釈放された後は、故郷の愛知県で実家の農業を継ぎ、静かに暮らしています

社会復帰後は、野生動物や自然環境の保護活動に尽力。

特に2005年の愛知万博の際には、会場予定地だった「海上の森」の自然保護運動で中心的な役割を果たしました。

2014年にはフジテレビの番組に出演し、事件当時の心境を告白。

かつての思想とは大きく異なり、現在は自由民主党に入党していることを明かし、「補助金の陳情や業界団体のために必要だった」とその理由を語っています。

自らの過ちを省みながら、全く異なる形で社会と関わっています。

加藤元久(弟):保護処分の後、沈黙の中へ

逮捕時16歳だった弟の元久は「少年B」として報道されました。

少年法に基づき保護処分となり、中等少年院に送致されています。

その後の彼の人生については公にされている情報がほとんどなく、詳細は不明のままです。

兄の倫教も、メディアのインタビューで弟の現在について語ることはありませんでした。

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なぜ犯人たちの人生はこれほどまでに分岐したのか

同じ事件に関わった5人の道がここまで違ってしまった背景には、司法の判断、国際情勢、そして個人の選択という複数の要因が複雑に絡み合っています。

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氏名事件後の経緯現在の状況
坂口 弘死刑判決が確定東京拘置所に収監中
坂東 國男超法規的措置で釈放・国外逃亡国際指名手配中
吉野 雅邦無期懲役判決が確定千葉刑務所に服役中
加藤 倫教懲役13年の判決、服役後に仮釈放社会復帰し農業に従事
加藤 元久保護処分(中等少年院送致)詳細不明

判決を分けた事件での役割と年齢

まず、事件における立場や役割、そして年齢によって下された判決が大きく異なりました。

リーダー格と見なされた坂口には死刑、実行犯としての側面が強かった吉野には無期懲役という重刑が下りました。

一方、未成年であった加藤兄弟には、更生の可能性も考慮され、それぞれ懲役刑と保護処分という判断がなされました。

これは司法が個々の責任を慎重に判断した結果と言えます。

運命を変えた「超法規的措置」という特例

坂東國男のケースは極めて特殊です。

彼の運命を大きく変えたのは、他の日本赤軍メンバーによるテロ事件でした。

法治国家の原則を超える「超法規的措置」という政治判断によって、彼は司法の場から解放され、再び国際的なテロ活動へと身を投じることになりました。

これは、個人の意思や司法の判断を超えた、時代の大きなうねりがもたらした例外的な結果でした。

逮捕後に問われた「個人の選択」

釈放の機会を「法廷で闘う」という意思で拒否した坂口弘。

社会復帰後に過去と向き合い、「環境保護」という全く異なる分野で社会と関わることを選んだ加藤倫教。

彼らの人生は、逮捕後に自らが下した決断によっても大きく形作られました。

過酷な運命の中で、何を考え、どう生きるかという個人の選択が、その後の人生を大きく左右したのです。

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事件が社会に残したもの

あさま山荘事件は、犯人たちの人生だけでなく、日本の社会にも大きな影響を与えました。

過激派運動の終焉

テレビで生中継された衝撃的な事件の顛末と、その後に明らかになった凄惨な「山岳ベース事件」の実態は、それまで一部に存在した学生運動や過激派への共感を完全に消し去りました。

多くの若者が新左翼運動から離れ、運動は急速に衰退。

一つの時代の終わりを象徴する事件となりました。

特殊部隊創設への影響

警官2名が殉職し、多数の負傷者を出したこの事件の教訓は、日本の警察組織にも大きな変化をもたらしました。

特に、銃器を使用したテロ事件に対応できる専門部隊の必要性が痛感され、後の特殊急襲部隊(SAT)創設のきっかけの一つになったと言われています。

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まとめ:【2025最新】浅間山荘事件の犯人たちのその後|死刑囚、逃亡、社会復帰まで

  • 浅間山荘事件で逮捕された犯人5名は、死刑、無期懲役、社会復帰、国外逃亡など全く異なる道を歩んだ。
  • リーダー格の坂口弘は死刑が確定しているが、共犯の坂東國男が逃亡中のため執行は行われていない。
  • 坂東國男は日本赤軍のテロ事件により超法規的措置で釈放され、現在も国際指名手配されている。
  • 未成年だった加藤倫教は刑期を終え社会復帰し、過去の思想から転向して環境保護活動などを行っている。
  • 事件は、坂東國男の逃亡という形で今なお未解決な部分を残し、日本の社会と警察組織に大きな教訓を残した。

この事件で亡くなられた方のお悔やみを申し上げます。

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