平原政徳の元妻や経歴・生い立ち—資産家育ちが凶行に至るまでの背景

北九州市マク-ドナルドでの殺傷事件で逮捕された平原(ひらばる)政徳容疑者。

資産家一族に生まれ、一時は妻と娘を持つ父親であった彼が、なぜ凄惨な事件を起こすに至ったのか。

その人物像の背景にある複雑な生い立ちと経歴、そして転機となった離婚後の生活に迫ります。

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目次

平原政徳容疑者の経歴と生い立ち

平原(ひらばる)政徳容疑者の人生は、恵まれた家庭環境から始まりましたが、その後の経歴は順風満帆とは言えないものでした。

学生時代に見せた二面性や、安定しなかった社会人生活など、その経歴と生い立ちを詳しく見ていきましょう。

資産家一族での生い立ち

平原容疑者は、福岡県北九州市小倉南区の資産家一族に生まれました。

祖父は地域一帯の大地主として知られ、一族はモノレール守恒駅周辺に多数のマンションや土地を所有。

登記簿謄本で確認できるだけでも不動産は10筆を軽く超え、近隣の病院の土地も平原家のものだったとされています。

その資産は億単位にのぼると見られており、地域では有名な有力者でした。

平原容疑者は両親、妹2人、祖父母という7人家族の中で育ちました。

父親は彼が中学生の頃に飲酒が原因の肝硬変で早くに亡くなっていますが、それ以前は近所でガソリンスタンドを経営していました。

父親の死後、ガソリンスタンドはたたまれたようです。

彼が事件当時に一人で住んでいた自宅は、1999年に新築された延床面積150平方メートルを超える木造2階建ての立派な家屋で、これも一族の資産の一部でした。

2006年には母親とみられる人物から土地の贈与を受けるなど、経済的に不自由のない環境で育ったことがうかがえます。

学生時代の経歴

地元の公立中学校に進学した平原容疑者は、当時から身長が高く、バスケットボール部に所属。同級生からは「地味でおとなしい印象」と見られていました。

高校は市内の私立男子校である「常磐高等学校」に進学したとみられています。

高校でもバスケットボール部で活動し、同級生からは「優しい男」「穏やかな性格で、明るくよく笑うタイプ」といった、後の姿とは結びつかない人物像が語られています。

挨拶もしっかりでき、クラスメイトが記憶する彼は、決して暴力的な人間ではありませんでした。

しかしその一方で、部活の後輩に対しては全く異なる顔を見せていたという証言もあります。

「ボールの磨き方が悪いと怒鳴りあげ、手も出したりした」

「後輩を正座させて蹴ったり、『いいって言うまでずっと走っておけ』と命令したりしていた」

など、彼の内側に潜む攻撃性や支配的な一面をうかがわせるエピソードが残っています。

相手によって態度を使い分ける二面性は、この頃から持ち合わせていたのかもしれません。

高校卒業後の経歴

高校卒業後、平原容疑者は大学には進学しませんでした。

行きつけだった理髪店の店主には

「派遣の仕事をしている」

「職業訓練に行っている」

などと、自身の近況を断片的に話していたようです。

資産家の家庭に生まれながらも、定職には就かず、不安定な立場にあったことがうかがえます。

事件の数年前には、偶然再会した同級生に

「営業の仕事をしている」

と説明していましたが、その際はろれつが回らず体調が悪そうな様子だったといいます。

この時点で、すでに心身に変調をきたしていた可能性も考えられます。

最終的に、逮捕時の職業は「無職」と報じられました。

自宅に隣接する月極駐車場を所有・管理しており、不動産からの不労所得があった可能性はありますが、社会人として安定したキャリアを築いていたとは言い難い状況でした。

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平原政徳容疑者と妻の関係—結婚、離婚、そして奇行へ

平原容疑者の人生において、大きな転機となったのが結婚と、その後の家庭崩壊です。

かつては「普通のお父さん」だった彼が、どのようにして近隣住民を恐怖に陥れる存在へと変貌していったのでしょうか。

妻との関係を中心にその経緯を追います。

妻との結婚と「普通の父親」時代

平原容疑者は2009年5月頃に結婚しています。

結婚式の前日には理髪店を訪れ、

「あしたが結婚式」

「子どもも生まれる」

と嬉しそうに語っていたといい、新たな生活への希望に満ちていた様子が伝わってきます。

翌年、娘が誕生。

当初は、現在の自宅とは別の場所にあるアパートで、妻と娘との3人暮らしを始めました。

当時の彼は、近隣住民から

「挨拶もして礼儀正しい」

「口数は少ないけど普通のお父さん」

と見られており、小学校低学年だった娘と遊ぶ姿も目撃されています。

妻も

「おとなしそうな感じのいい奥さん」

と評されており、ごく普通の穏やかな家庭生活を築いていたようです。

その後、一家は突然アパートを転居しますが、後日、妻から元隣人へ

「ばたばたしてあいさつできず、すみません」

と丁寧な連絡があったことからも、常識的な家庭であったことがうかがえます。

離婚を機に始まった異変

しかし、この穏やかな生活は長くは続きませんでした。

彼の実家に戻ってから、夫婦関係に亀裂が生じ始めたようです。

近隣住民からは、

「『きさま』とか『おまえ』といった汚い言葉で奥さんを怒鳴りつける声が聞こえた」

「『お前、おかしいやろうが!』という怒鳴り声の後に、ドスドスドス…という大きな音がした」

といった、DVを疑わせる深刻な証言が寄せられています。

捜査関係者によると、平原容疑者は事件の1年以上前に妻と離婚。

行きつけだった理髪店の店主も、2023年1月頃に会った際には

「問いかけても会話にならず、目の焦点が合っていない様子だった」

「完全に人が変わってしまっていた」

と証言しており、離婚が彼に与えた影響の大きさを物語っています。

離婚後、一人暮らしとなった平原容疑者の行動は、ますます常軌を逸していきます。

  • 騒音トラブル:

    拡声器を使って大声で叫ぶ、夜中にカラオケをする、庭で爆竹を鳴らすなど、迷惑行為を繰り返した。

    注意されると「大声出して何が悪いんだ!」と逆ギレすることもあったという。

  • 奇行:

    車から軍歌のような音楽を大音量で流す、自宅の窓が夜中に青や緑の不気味な光で照らされる、ゴミ収集後を見計らって大量のカップ酒の空き瓶を出すなど、理解しがたい行動が目撃されている。

これらの行動により、近隣住民とのトラブルが絶えず、警察に通報されることも複数回ありました。

かつて「普通の父親」だった面影は、そこにはありませんでした。

孤独な生活と事件への道

妻と娘が出て行き、一人暮らしとなった平原容疑者は、急速に社会から孤立していったとみられます。

当初は母親や妹と共に暮らしていた時期もあったようですが、彼の奇行が激しくなるにつれて家族も家を離れ、最終的に一人になったようです。

月に一度ほど、母親と妹が家の草むしりに訪れる程度の交流は続いていましたが、彼の孤独が癒えることはなかったのでしょう。

一方で、近所の中学生が

「平原容疑者の自宅に、自分たちと同じくらいの女の子が出入りしているのを何度か見た」

と証言しており、離婚後も娘と何らかの接点があった可能性が残されています。

事件で被害に遭ったのは、奇しくも彼自身の娘と同じ年頃の中学生でした。

家庭の崩壊、社会からの孤立、そして蓄積された何らかの鬱屈した感情が、面識のない若者への無差別的な凶行という最悪の形で爆発した可能性があります。

捜査は続いており、動機の全容解明が待たれますが、彼の経歴と生い立ちをたどると、一人の人間が社会との関わりを失い、転落していく過程が浮かび上がってきます。

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まとめ:平原政徳の元妻や経歴・生い立ち—資産家育ちが凶行に至るまでの背景

  • 平原政徳容疑者は、北九州市の資産家一族に生まれ、経済的に恵まれた環境で育った。
  • 学生時代はバスケ部に所属し、物静かで優しい印象の一方で、後輩に厳しく当たる二面性があった。
  • 高校卒業後は定職に就かず、派遣や職業訓練を経て、逮捕時は無職だった。
  • 2009年に結婚し娘も生まれたが、DVをうかがわせる言動の末、事件の1年以上前に妻と離婚した。
  • 離婚後は一人暮らしとなり、大声や騒音などの奇行を繰り返し、社会的に孤立していた。
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