ヤーレンズが売れないと言われた3つの理由とは?経歴と現在の活躍を徹底解説

ヤーレンズ
ヤーレンズが売れないと言われた3つの理由とは?経歴と現在の活躍を徹底解説

M-1グランプリ2023で準優勝、続く2024年大会でも決勝進出を果たし、今やお茶の間の人気者となったヤーレンズ。

しかし、その実力とは裏腹に、長年にわたり「なかなか売れない」と言われ続けた不遇の時代がありました。

この記事では、なぜ彼らが長い下積み時代を過ごすことになったのか、その理由と遅咲きの経歴について詳しく解説します。

この記事を読むと、以下のことがわかります。

この記事でわかること
  • 実力派のヤーレンズが長年「売れない」と言われてきた3つの明確な理由
  • ボケの楢原真樹とツッコミの出井隼之介の意外な学歴と結成秘話
  • M-1グランプリでの快進撃と、現在のメディア露出の状況
  • メンバーの結婚事情を含む最新のプライベート情報
目次

ヤーレンズが長年「売れない」と言われてきた3つの理由

ヤーレンズ
ヤーレンズ

お笑い業界の中では、「ヤーレンズはいつ売れてもおかしくない」「なぜまだ世に出てこないのか」と囁かれ続けていました。

先輩芸人や構成作家からの評価はすこぶる高いにもかかわらず、一般層への知名度がなかなか上がらなかったのには、いくつかの複合的な要因が絡み合っています。

実力があるからこそ陥ってしまった、「売れない」と言われた3つの深い理由を掘り下げていきましょう。

1. 長年立ちはだかった賞レース「準々決勝」の壁

ヤーレンズが「売れない」と言われてきた最大の要因は、お笑い芸人にとっての登竜門であるM-1グランプリでの苦戦にあります。

彼らは2015年から毎年欠かさずM-1に挑戦し続けてきましたが、2017年から2021年までの5年間は、すべて「準々決勝敗退」という結果に終わりました。

お笑いファンや業界関係者の間では、この「準々決勝の壁」は非常に厚いことで知られています。

準決勝に進出すれば、敗者復活戦などで地上波テレビに映るチャンスが巡ってきますが、準々決勝止まりではその機会すら与えられません。

実力は認められているものの、テレビサイズの「分かりやすいインパクト」や「爆発力」という点において、審査員の票をあと一歩掴みきれない時期が長く続きました。

毎年年末になると、「今年こそは」という期待を背負いながらも、結果発表で名前が呼ばれない悔しさを味わい続けてきたのです。

この「準々決勝止まりの常連」というレッテルが、彼らの一般知名度の上昇を阻む大きな足かせとなっていました。

しかし、2022年に初めて準決勝の壁を突破したことで流れが変わり、翌2023年の準優勝へと繋がる大きなステップとなったのです。

2. テレビ露出よりも舞台を優先した活動スタイル

ヤーレンズの活動スタイルが、昨今の「テレビで売れるための戦略」とは一線を画していた点も、ブレイクが遅れた理由の一つです。

彼らは「舞台の鬼」と呼ばれるほど、劇場の出番を大切にしてきました

2022年の実績を見ると、年間で368本もの舞台に出演しており、これは単純計算で1日1ステージ以上、休むことなく漫才を披露していたことになります。

所属事務所であるケイダッシュステージは、オードリーやトム・ブラウンなど実力派を輩出していますが、吉本興業のように自前の劇場を多数持っているわけではありません。

そのため、彼らは様々な主催者のライブに精力的に顔を出し、現場で目の前の客を笑わせることに全力を注いできました。

この「現場主義」は、漫才師としての地肩を強くし、どんな客層でも対応できる柔軟性を養う上では最強のトレーニングです。

しかし、現代のエンターテインメント業界において、「売れている」という指標は、どうしても「テレビで見かける頻度」と直結してしまいます。

YouTubeやSNSでのバズり、あるいはテレビのショートネタ番組での一発芸が重視される風潮の中で、地道に劇場で漫才を磨き続ける彼らのスタイルは、時代と逆行していたとも言えるでしょう。

職人気質でストイックな姿勢は尊敬に値しますが、マス層へのリーチという点では、どうしても遠回りな道のりとなってしまったのです。

3. 実力派ゆえの「玄人受け」と独特なポジショニング

ヤーレンズの漫才スタイルは、非常に洗練されており、それゆえに「玄人受け」しすぎてしまった側面があります。

彼らの漫才は、ボケの楢原が繰り出す軽妙な雑談から、いつの間にかネタの世界に入り込んでいく「雑談漫才」のスタイルが基本です。

大阪出身の二人ですが、あえてコテコテの関西弁を使わず、標準語で淡々と会話を進める「脱力系」の漫才は、独自の世界観を持っています。

声を張り上げたり、激しい動きで笑いを取ったりする分かりやすいパフォーマンスではないため、初見の視聴者には「何が面白いのか」が瞬時に伝わりにくい場合がありました。

特に、テレビのネタ番組では「数十秒でオチをつける」「キャッチーなフレーズを連呼する」といった即効性が求められます。

じっくりと話芸を聞かせて笑いを増幅させていくヤーレンズのスタイルは、こうした短尺の番組フォーマットと相性が悪かったのです。

同業者の芸人たちからは「技術が高い」「台本が完璧」「ずっと聞いていられる」と絶賛されていましたが、それは裏を返せば「お笑いリテラシーの高い人にしか伝わらない」というジレンマでもありました。

しかし、彼らは安易にスタイルを変えて大衆迎合することなく、自分たちの信じる漫才を貫き通しました。

その結果、M-1グランプリという最高の舞台で、その面白さが「玄人」だけでなく「大衆」にも届くことを証明したのです。

スポンサーリンク

苦労人コンビの意外な学歴と結成秘話

ヤーレンズ
ヤーレンズ

遅咲きのブレイクを果たしたヤーレンズですが、その背景には二人のユニークな生い立ちと、運命的な出会いがありました。

ここでは、メンバーそれぞれの詳細なプロフィールと、コンビ結成に至るまでの意外なエピソードを紹介します。

楢原真樹と出井隼之介の学歴と出会い

ボケ担当の楢原真樹(ならはら まさき)は、1986年生まれで大阪府池田市の出身です。

舞台上では、独特な眼鏡にアスコットタイ、あるいは少し変わったジャケットを着こなすなど、奇抜なファッションセンスを見せています。

彼の経歴で特筆すべきは、お笑いの世界に入ったきっかけです。

大学受験に失敗し、進路に迷っていた際、なんと両親の方から「あんた、芸人になってみたら?」と勧められたといいます。

通常、親は子供の芸人志望を反対することが多いものですが、楢原家では逆に背中を押される形で、NSC大阪校の28期生として入学しました。

一方、ツッコミ担当の出井隼之介(でい じゅんのすけ)は、1987年生まれで神奈川県横浜市出身ですが、育ちは兵庫県神戸市です。

彼は私立の名門・甲南大学に進学しましたが、大学生活に面白みを見出せず、「もっと刺激的な人生を送りたい」という衝動から大学を中退しました。

ドロップアウトして選んだ道がお笑い芸人であり、NSC大阪校の29期生として門を叩きました。

二人はNSCでは1期違いの先輩後輩という関係でしたが、在学中はお互いの存在を深く知ることはなく、それぞれ別のコンビを組んで活動していました。

サザンオールスターズが繋いだ運命の結成

二人がコンビを組むことになった決定的な理由は、共通の趣味である国民的バンド「サザンオールスターズ」への熱狂的な愛でした。

お互いに前のコンビを解散し、次の相方を探していた不安定な時期に、芸人仲間が開いた「サザンファンが集まるカラオケ会」に参加したことで運命が変わります。

そこで意気投合した二人は、お笑いに対する価値観だけでなく、好きな音楽の趣味も合うことを確信し、コンビ結成に至りました。

現在のコンビ名「ヤーレンズ」も、サザンオールスターズの楽曲『YARLEN SHUFFLE 〜子羊達へのレクイエム〜』から名付けられています。

また、ヤーレンズに改名する前に活動していた「パープーズ」というコンビ名も、同じくサザンの『我らパープー仲間』が由来となっており、彼らのサザン愛がいかに深いかが分かります。

大阪から東京へ進出する際、彼らは大きな決断をしました。

それは、大阪出身でありながら「関西弁を封印する」ということです。

これには、「二人とも喉が弱く、声を張り上げるスタイルの漫才が身体的にきつかった」という切実な理由がありました。

無理にテンションを上げて怒鳴り合うのではなく、自然体で会話する標準語の漫才スタイルに切り替えたことが、結果として彼らの唯一無二の個性を生み出すことになったのです。

スポンサーリンク

M-1準優勝でブレイク!出井の結婚と現在の活躍

ヤーレンズ
ヤーレンズ

長い下積みを経て、M-1グランプリ2023での準優勝をきっかけに、ヤーレンズを取り巻く環境は劇的に変化しました。

ここでは、現在の彼らの目覚ましい活躍ぶりと、気になるプライベートな話題について最新情報をお届けします。

芸人仲間からの絶大な評価とメディア進出

かつて「売れない」と嘆いていたのが嘘のように、現在ではテレビやラジオで見ない日はないほどの売れっ子となりました。

彼らのブレイクを予言していたのは、M-1王者の錦鯉をはじめ、麒麟の川島明、南海キャンディーズの山里亮太など、確かな目を持つ実力派芸人たちです。

彼らはブレイク前からヤーレンズの面白さをメディアで発信しており、その評価が正しかったことが証明されました。

2025年現在、ヤーレンズはTBSラジオの『パンサー向井の#ふらっと』内のコーナーや、ABCラジオでの冠番組、さらには『オールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを務めるなど、ラジオスターとしての地位を確立しています。

ラジオというメディアは、彼らの持ち味である「終わりのない雑談」との相性が抜群に良く、リスナーからの支持は厚くなる一方です。

また、テレビ東京やテレビ朝日などのバラエティ番組でもレギュラーや準レギュラーとして活躍し、ロケやひな壇トークでもその実力を遺憾なく発揮しています。

特に、M-1グランプリ2023で激闘を演じた令和ロマンとの関係性は深く、二組で開催しているツーマンライブ「ヤレロマ」は、お笑い界で最もチケットが取れないライブの一つと言われるほどの熱狂を生んでいます。

切磋琢磨し合う良きライバルであり、戦友でもある二組の絆は、多くのお笑いファンを魅了して止みません。

出井隼之介の結婚と充実する私生活

仕事の充実とともに、プライベートでも大きな変化がありました。

ツッコミの出井隼之介は、2024年5月に一般女性との結婚を発表しました。

自身のラジオ番組の生放送中にサラリと報告するという、芸人らしい粋な演出で世間を驚かせました。

相方の楢原もこの報告を温かく祝福し、コンビの絆の深さを改めて感じさせる場面となりました。

出井は結婚後も「守り」に入ることなく、むしろ鋭いツッコミのキレ味が増していると評判です。

私生活の安定が精神的な余裕を生み、それが漫才のパフォーマンスにも良い影響を与えているのでしょう。

一方で、ボケの楢原に関しては、現時点で独身を貫いています。

彼は大好きなゲームに没頭したり、サザンオールスターズのライブ映像を鑑賞したりと、マイペースな独身生活を謳歌しているようです。

正反対の私生活を送る二人ですが、その対比がまた漫才のネタやフリートークでの面白い掛け合いを生み出しています。

スポンサーリンク

まとめ:ヤーレンズが売れないと言われた3つの理由とは?経歴と現在の活躍を徹底解説

ヤーレンズ
ヤーレンズ

ヤーレンズが「売れない」と言われてきた過去には、賞レースの壁や活動スタイルのこだわりなど、明確な理由がありました。

しかし、それらはすべて現在の確かな実力と人気につながる重要なプロセスだったといえます。

最後に、この記事のポイントをまとめます。

  • ヤーレンズは2023年までM-1で結果が出ず、知名度が伸び悩んでいた
  • テレビよりも年間300本以上の舞台を優先し、実力を磨き続けてきた
  • 大阪出身だが「喉が弱い」等の理由で標準語のスタイルを確立した
  • 同業者からの評価は昔から非常に高く「玄人受け」するコンビだった
  • ボケの楢原は大学受験失敗後に両親の勧めで芸人の道へ進んだ
  • ツッコミの出井は甲南大学を中退し、刺激を求めてお笑いの世界に入った
  • コンビ結成のきっかけは共通の趣味である「サザンオールスターズ」だった
  • 出井は2024年5月に一般女性との結婚を発表し、公私共に順調である
  • M-1グランプリ2023準優勝、2024決勝進出を経て完全にブレイクした
  • 2025年現在はテレビ・ラジオのレギュラー番組を多数抱える売れっ子である

苦労の末に花開いたヤーレンズの今後のさらなる活躍に、ますます目が離せません。

今後のご活躍を期待します。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次