1999年に発生し、日本中を震撼させた「名古屋西区主婦殺害事件」。
当時32歳の主婦・高羽奈美子さんが自宅アパートで殺害され、現場には2歳の息子が取り残されていました。
26年間にわたり未解決だったこの事件が2025年10月、安福久美子容疑者(69)の逮捕によって急展開を迎え、彼女の「生い立ち」に強い関心が集まっています。
この記事を通じて、以下の点が明らかになります。
- 安福久美子容疑者の判明している経歴とプロフィール
 - 事件の被害者の夫との「同級生」という重要な接点
 - 学生時代から見られた特異な執着心と、当時の人物像
 - 事件後の26年間、彼女が送ってきた「二面性」のある生活
 
安福久美子容疑者の生い立ちと人物像

26年もの間、捜査線上にありながら特定に至らなかった安福久美子容疑者。
彼女は一体どのような人物で、どのような人生を歩んできたのでしょうか。
公表されている断片的な情報を時系列で整理します。
判明しているプロフィールと69年間の経歴
逮捕時の報道によると、安福久美子容疑者は69歳、名古屋市港区東海通5丁目に居住し、職業はアルバイトであったとされています。
1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)頃の生まれと推定され、戦後の復興から高度経済成長期にかけての日本で幼少期を過ごした世代です。
彼女の幼少期や家族構成(両親、兄弟姉妹、結婚歴や子供の有無)については、2025年11月現在、公表されていません。
国籍は報道の仕方から日本国籍とみられます。
「安福」という姓は旧姓が「山口」であったことから、結婚(あるいは離婚)による改姓の可能性もありますが、詳細は不明です。
彼女の人生をたどる上で、判明している情報は「学生時代」と「事件当時」、そして「逮捕時」に集中しています。
| 項目 | 内容 | 
| 氏名 | 安福 久美子(やすふく くみこ) | 
| 旧姓 | 山口 | 
| 年齢 | 69歳(逮捕時) | 
| 生年月日 | 1955年(昭和30年)〜 1956年(昭和31年)頃と推定 | 
| 住所 | 愛知県名古屋市港区東海通5丁目(逮捕時) | 
| 職業 | アルバイト(具体的な勤務先や内容は不明) | 
| 国籍 | 日本(報道内容からの推定) | 
| 家族構成 | 不明(独身か既婚か、子供の有無なども公表されていない) | 
生い立ちの分岐点:高校時代の出会いと一方的な好意
安福容疑者の生い立ちを決定づけた最も重要な要素は、被害者・高羽奈美子さんの夫である高羽悟さん(69)との関係です。
被害者の奈美子さん本人とは直接の面識はなかったとみられています。
つまり、事件の根源は被害者本人ではなく、その夫である悟さんに向けられていたと考えられています。
二人は同じソフトテニス部に所属していました。
当時の安福容疑者(旧姓・山口)は、同級生から「おとなしい女性」「まじめ」と評される、内気な印象の生徒だったようです。
しかし、「人柄はいい」「(彼女を)好きになる男子がいてもおかしくない」という証言もあり、目立たないながらも否定的な印象は持たれていませんでした。
しかし、その静かな態度の裏で、彼女は悟さんに対し非常に強い好意を抱いていました。
彼女は悟さんに対し、バレンタインデーにチョコレートを渡す、想いを綴ったラブレターを送る、さらには直接告白するといった積極的なアプローチを繰り返していたことが確認されています。
しかし、悟さんがその好意を受け入れることはなく、彼女の思いは高校時代には成就しませんでした。
裕福な家庭と大学時代の執着
高校卒業後、安福容疑者と悟さんは、それぞれ別の大学に進学します。
ここで注目されるのが、安福容疑者の家庭環境です。
彼女が大学に進学した1974年(昭和49年)頃、女性の大学進学率はわずか約12%でした(男性は約40%)。
「女性は結婚したら寿退社」という考え方が主流だった時代に大学へ進学させることは、学力だけでなく、高い学費を負担できる経済力が家庭にあったことを示唆します。
このことから、安福容疑者の実家は教育熱心で裕福な家庭であった可能性が非常に高いと推測されています。
恵まれた環境で高等教育を受けた安福容疑者ですが、悟さんへの思いは断ち切れていませんでした。
それどころか、その執着は大学時代も続いていたことが、悟さんの親族の証言で明らかになっています。
安福容疑者は、悟さんが通う大学まで出向き、彼のテニスの試合を度々応援していたといいます。
悟さんの妹は、兄(悟さん)から
「(安福容疑者が)大学まで追っかけてきて、喫茶店に連れて行かれて泣かれて、えらいことだった(大変なことになった)」
という話を聞いたことがあると証言しています。
このエピソードは、彼女の感情が単なる「淡い恋心」ではなく、相手の反応に関わらず続く強い「執着」であったことを示しています。
当の悟さん自身はこの出来事を忘れていたようですが、安福容疑者にとっては忘れられない記憶として残り続けたと考えられます。
安福久美子の生い立ちと事件後の「二重生活」
大学卒業後から事件発生までの安福容疑者の足取りは、多くが謎に包まれています。
彼女がどのような職業に就き、結婚していたのか、あるいは独身だったのかは不明です。
次に彼女の足取りが明らかになるのは、事件発生の前年、1998年です。
事件の引き金か—1998年の同窓会
安福容疑者と高羽悟さんは、テニス部のOB会(同窓会)で再会します。
この時、悟さんはすでに高羽奈美子さんと結婚し、1997年には長男(事件当時2歳)も誕生していました。
同窓会の場で、悟さんは自分が妻子持ちであることを(おそらく近況報告として)安福容疑者にも伝えました。
それに対し、安福容疑者は
「私も頑張って、仕事しながら主婦業をしている」
と答えたと悟さんは記憶しています。
この発言が事実(彼女も既婚者だった)のか、あるいは学生時代に好意を寄せた悟さんに対して見栄を張った嘘だったのかは定かではありません。
しかし、いずれにせよ、この再会が安福容疑者にとって、かつて執着した悟さんが「他人のもの」となり、自分の知らない女性(奈美子さん)と幸せな家庭を築いているという現実を、明確に突きつけられた瞬間であったことは確かです。
この出来事が、数十年間心の奥底に押し込められていた感情を再燃させ、事件の引き金(トリガー)となった可能性が強く指摘されています。
1999年事件当時と26年間の潜伏生活
同窓会から約1年後の1999年11月13日、事件は発生します。
事件当時、安福容疑者は43歳から44歳。
彼女は名古屋市内のコンビニエンスストアでアルバイトとして働いていました。
1998年の同窓会で語った「仕事と主婦業の両立」という言葉とは異なる印象を与えます。
この時期の彼女の正確な生活実態や精神状態は、今後の捜査で焦点となるとみられます。
犯行後、安福容疑者は逮捕されるまでの26年間、事件現場からほど近い名古屋市港区内で生活を続けていました。
彼女の事件後の生い立ちには、顕著な「二面性」があったことが、周囲の住民の証言から浮かび上がっています。
<表の顔>
- 近隣住民に対しては「明るく挨拶をする」など、コミュニケーションを普通に取っていた。
 - 「優しいお母さんというイメージ」と語る人もおり、表向きは社会に溶け込んだ温厚な人物として認識されていた。
 
<裏の顔>
- 一方で、一部の住民からは「感情の起伏が激しい」という証言もある。
 - 「ときどき口論する声を聞いた」という報告もあり、家庭内や内面では強いストレスや葛藤を抱えていた可能性がうかがえる。
 
逮捕への経緯と供述

26年間、彼女は罪の意識を抱えながら日常生活を送っていたとみられます。
愛知県警は2024年から捜査資料を洗い直し、過去に聴取した5000人以上の中から数百人に絞り込み、再捜査を進めていました。
安福容疑者もその中の一人でした。
警察は今年(2025年)に入り、安福容疑者に複数回任意聴取を行い、DNA型の鑑定に必要な検体の提出を強く要請しました。
しかし、彼女はこれを拒否し続けていました。
転機が訪れたのは2025年10月です。安福容疑者が一転してDNA型の提出に任意で応じました。
そして、その鑑定結果が出る前日となる10月30日、安福容疑者は自ら西警察署に一人で出頭しました。
警察がDNA型の一致を確認し、10月31日、殺人容疑で逮捕に至りました。
逮捕後の取り調べに対し、彼女は
「(容疑内容は)合っています」
と容疑を認めています。
26年間の心境については、
「事件発生日が近づくと悩んで気持ちが沈んだ」
「毎日不安で、事件に関する新聞も見られなかった」
と、罪の意識に苛まれていたことを示唆しています。
また、DNA鑑定の拒否や出頭の理由については
「家族に迷惑がかかるのが嫌だった。捕まるのが嫌だった」
とも供述しており、保身の気持ちと葛藤していた様子がうかがえます。
しかし、2025年11月上旬の報道時点では、被害者の高羽奈美子さんや、夫の悟さんら遺族に対する謝罪の言葉は述べられていません。
なぜ事件は起きたのか:生い立ちから見る動機
安福容疑者の生い立ちを追うと、今回の事件の動機が、被害者本人への直接的な恨みではなく、極めて特異な心理状態から生じたものである可能性が浮かび上がります。
数十年にわたる「執着」と「認知のゆがみ」
最大の動機は、被害者の夫・高羽悟さんへの、高校時代から始まった数十年にわたる一方的な「好意」と、それが満たされなかったことによる「執着」であるとみられています。
高校時代の度重なるアプローチ、拒否されてもなお続いた大学時代の追っかけ行為は、通常の恋愛感情とは異なる執拗さを示しています。
心理学的な見地からは、この長年処理できなかった強い感情が固定化され、1998年の同窓会での再会をきっかけに「未解決の葛藤の再活性化」が起きたと推測されています。
悟さんが自分の知らない女性(奈美子さん)と結婚し、幸せな家庭を築いているという現実は、安福容疑者にとって
「自分が否定された」
「奪われた」
という被害的な認知(認知のゆがみ)に変換された可能性があります。
その結果、安福容疑者の中で、奈美子さんは「自分の理想を奪った存在」「悟さんの妻というポジションの象徴」として攻撃対象と認識され、実際の面識の有無とは無関係に、強い嫉妬や憎悪が向けられたのではないかと考えられています。
この長年の執着と認知のゆがみが積み重なり、現実との境界が曖昧になった結果、あの日の凶行に至ったとみられています。
まとめ:安福久美子の生い立ち
安福久美子容疑者の生い立ちについて、現在判明している情報をまとめました。
- 安福容疑者(69)は、被害者・高羽奈美子さんの夫・悟さん(69)の高校の同級生でした。
 - 高校時代は同じソフトテニス部に所属し、悟さんに一方的な好意を寄せ、告白するも受け入れられませんでした。
 - 大学時代も悟さんの試合に応援に行くなど、執着を持ち続けていたとみられます。
 - 事件前年(1998年)の同窓会で悟さんと再会し、彼が妻子持ちであることを認識。これが事件の引き金になった可能性があります。
 - 事件後の26年間は、近所では「普通の人」として振る舞う一方、内面では不安を抱えながら生活していた二面性がうかがえます。
 

今後の捜査を見守りたいと思います。














