
吉本興業に所属するお笑いコンビ「たくろう」のボケ担当である赤木裕さんは、唯一無二のキャラクターで支持を集めています。
2025年にはM-1グランプリの決勝進出を果たすなど、漫才界の次代を担う存在として大きな注目を浴びている存在です。
今回は、そんな赤木さんの気になる出身大学や高校、そして学生時代の驚きのエピソードについて詳しくご紹介します。
この記事を読むと以下のことがわかります。
- 赤木裕さんが卒業した大学名とキャンパスライフの実態
- 大学時代に自ら立ち上げたサークルと華やかな恋愛経験
- 名門野球部での挫折とマネージャーへ転向した意外な過去
- 独特の芸風の原点となった学生時代の反骨精神と経歴
たくろう赤木の出身大学は京都産業大学!学生時代のエピソード

たくろうの赤木裕さんは、京都府京都市北区にキャンパスを構える
しています。
大学時代は現在の芸風からは想像もつかないような、非常に活動的で充実した時間を過ごしていたようです。
まずは、赤木さんの大学生活の詳細について解説していきます。
知り合いゼロからのスタートとサークル結成
赤木さんは滋賀県内の高校を卒業した後、京都産業大学へと進学しました。
入学当初は学内に知り合いが一人もいない状態からのスタートだったと、本人が過去のインタビューで振り返っています。
しかし、赤木さんはそこで内向的になるのではなく、自ら新しい環境を切り拓く行動に出ました。
なんと、自分をキャプテンとした草野球サークルをゼロから立ち上げたのです。
サークル名は「ディボーションズ」という名称で、これには「敬愛」や「博愛」といった深い意味が込められていたといいます。
野球初心者を中心にメンバーを集め、自分が四番打者でキャプテンを務めるという、理想の環境を作り上げました。
このサークル活動が、赤木さんにとっての大きな転換点となりました。
驚きの大学デビューと恋愛事情
サークルを立ち上げた赤木さんは、そこでまさに「大学デビュー」と呼ぶにふさわしい華やかな生活を送ることになります。
自らがリーダーを務めるサークルには、当然ながらマネージャーも在籍していました。
赤木さんはそのサークルのマネージャーと交際をスタートさせ、充実したキャンパスライフを謳歌したのです。
現在の少し自信なさげで挙動不審なボケを披露する姿からは、なかなか想像しにくいエピソードかもしれません。
しかし、この時期に「自分たちの居場所を自分で作る」という経験をしたことが、後の芸人としての活動にも影響を与えています。
大学時代の赤木さんは、野球を楽しみながらも、周囲を巻き込んでいくリーダーシップを発揮していたことが伺えます。
勉強とサークル活動を両立させ、無事に大学を卒業した後に、赤木さんはお笑いの世界へと足を踏み入れることになります。
お笑いの道を選んだ決断の背景
大学を卒業した赤木さんは、一般企業への就職ではなく、吉本興業のタレント養成所であるNSC大阪校への入学を決意しました。
京都産業大学での4年間を経て、自分が本当にやりたいことは何かを問い直した結果の選択でした。
もともと野球少年だった赤木さんですが、大学での草野球を通じて「人を楽しませる喜び」を再確認したのかもしれません。
大学卒業という肩書きを持ちながらも、不安定な芸人の世界に飛び込むことには勇気が必要だったはずです。
しかし、赤木さんは自分の中に眠る表現者としての可能性を信じ、37期生としてNSCの門を叩きました。
大学での経験があったからこそ、落ち着いて客観的に自分のお笑いを分析できる能力が備わったのだと考えられます。
高学歴芸人とまではいかないまでも、大学でしっかりと学んだ経験は、彼の知的な漫才構成の土台となっていると言えるでしょう。
たくろう赤木の出身高校や中学校などの学歴まとめ

大学時代は華やかな生活を送っていた赤木さんですが、それ以前の学歴についてはどのような歩みだったのでしょうか。
赤木さんの出身高校や中学校、そして部活動に打ち込んだ日々について詳しく掘り下げていきます。
出身高校は滋賀県の光泉高等学校
赤木さんの出身高校は、滋賀県草津市にある
です。
この高校は滋賀県内でもスポーツが盛んな学校として知られており、特に野球やラグビーなどが強豪として有名です。
赤木さんはこの光泉高校で、青春のすべてを野球に捧げる日々を送っていました。
地元の滋賀県大津市から通学し、厳しい練習に耐えながら甲子園を目指していたのです。
しかし、強豪校ならではの層の厚さと、自身の技術的な壁に直面することになります。
この高校時代の経験が、現在の赤木さんの人間性を形作る大きな要素となりました。
野球部での挫折とマネージャーへの転向
高校時代の赤木さんにとって、最も大きな出来事は3年生の夏を前にした配置転換でした。
ずっと選手としてプレーしてきた赤木さんですが、指導者から

「お前はセンスがないからマネージャーになれ」
と告げられたのです。
プロ野球選手になることを夢見ていた赤木さんにとって、これは非常にショッキングな宣告でした。
しかし、赤木さんはチームのためにその役割を受け入れ、裏方として仲間を支える道を選びました。
マネージャーとしてドリンクを作ったり、チームのサポートに徹したりする中で、複雑な感情を抱えていたと言います。
主役としてスポットライトを浴びることができない悔しさが、彼の中に「反骨精神」を植え付けました。



「いつか絶対に見返してやる」
という強い思いが、この時期に芽生えたのです。
この時の挫折と悔しさがなければ、後にお笑い芸人として「一発逆転」を狙う赤木さんは誕生していなかったかもしれません。
出身中学校と小学校での歩み
赤木さんは滋賀県大津市の出身で、中学校は大津市立打出中学校を卒業しています。
中学校時代も野球部に所属しており、当時は選手としてレギュラーを目指して汗を流していました。
小学校は当初、大津市立野洲小学校に通っていましたが、後に平野小学校へと転校しています。
幼少期から野球だけでなく空手も習っており、板割りが特技になるほどの腕前を持っていました。
運動神経そのものは決して悪くなかった赤木さんですが、野球という競技においては周囲のレベルが非常に高かったようです。
小・中学校時代を琵琶湖に近い自然豊かな大津市で過ごし、スポーツに打ち込む純粋な少年時代でした。
この頃の友人関係や、滋賀県特有ののんびりとした空気感が、彼の喋りのリズムに現れているのかもしれません。
たくろう赤木のプロフィールと芸人への経歴


学歴について把握したところで、改めて赤木裕さんの基本的なプロフィールと、芸人になってからの歩みを確認しましょう。
コンビ「たくろう」としての成功の軌跡も併せてご紹介します。
赤木裕さんの基本プロフィール
赤木裕さんは1991年10月24日生まれの滋賀県大津市出身です。
身長は171センチメートル、体重はわずか48キログラム前後と、非常にスレンダーな体型が特徴的です。
太い眉毛と、シャツの裾を常にズボンの中に入れる独特のファッションスタイルは、一度見たら忘れられません。
趣味は野球観戦、空手、そして漫画の「ONE PIECE」をこよなく愛しています。
特技にはペン回しや空手の板割り、そして意外にも歌唱力が高いことでも知られています。
NSC大阪校の37期生として卒業し、同期には多くの実力派芸人が名を連ねています。
真面目でストイックな性格でありながら、舞台上では予測不能な動きと喋りで観客を翻弄する姿が魅力です。
コンビ「たくろう」の結成とブレイク
赤木さんはNSC卒業後、現在の相方であるきむらバンドさんと出会い、2016年にお笑いコンビ「たくろう」を結成しました。
きむらバンドさんはNSC大阪校の36期生で、赤木さんにとっては一期上の先輩にあたります。
先輩後輩という関係性でありながら、二人は絶妙なコンビネーションを築き上げました。
結成後すぐにその実力は認められ、2018年には「第39回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で大賞を受賞しています。
さらに同年、若手芸人の登竜門である「ABCお笑いグランプリ」でも決勝に進出し、その名を全国に轟かせました。
赤木さんの「何を言い出すかわからない」不安定なボケと、きむらバンドさんの的確で包容力のあるツッコミは、唯一無二のバランスです。
劇場での出番も急増し、大阪の漫才劇場(マンゲキ)を中心に確固たる人気を確立していきました。
M-1グランプリ2025決勝進出と今後の展望
たくろうにとって最大の転機となったのが、2025年のM-1グランプリです。
これまで何度も準決勝の壁に阻まれてきた二人ですが、ついに決勝戦の舞台へと駒を進めました。
赤木さんの学生時代の悔しさや反骨精神が、ついに日本最高峰の漫才の舞台で花開いた瞬間でした。
決勝進出が決まった際の赤木さんの喜びようは、かつての野球部時代の挫折を知るファンにとっても感慨深いものがありました。
大学での華やかなデビュー、高校での挫折、そのすべてが彼の漫才の深みとなっています。
決勝の舞台では、これまでの経歴を武器に変えた爆発的な笑いを提供し、多くの審査員からも高い評価を得ました。
これを機にテレビ出演や単独ライブの規模も拡大していくことが予想され、赤木さんの快進撃は止まりません。
将来は賞レースのタイトルだけでなく、自身の冠番組を持つことも期待されるほどの逸材と言えるでしょう。


たくろう赤木の出身大学や学歴に関する情報のまとめ
赤木裕さんの歩みを振り返ると、挫折をバネにして現在の成功を掴み取ったことがよくわかります。
最後に、これまでの内容を簡単にまとめます。
・出身大学は京都産業大学であり、無事に卒業しています
・大学時代には自ら草野球サークルを立ち上げるリーダーシップを発揮しました
・サークルのマネージャーと交際するなど、充実したキャンパスライフを送っていました
・出身高校は滋賀県の私立・光泉高等学校で野球部に所属していました
・高校3年生の時に選手からマネージャーへの転向を命じられる挫折を経験しました
・マネージャー時代の悔しさが、芸人として見返したいという反骨精神の源です
・出身中学校は大津市立打出中学校で、小学校時代には転校も経験しています
・NSC大阪校37期生として入学し、相方のきむらバンドとコンビを結成しました
・身長171cmで体重48kgという個性的なルックスが武器になっています
・2025年M-1グランプリのファイナリストとなり、今後の活躍が期待されています
独特な雰囲気を纏う赤木さんですが、その裏にはしっかりとした学歴と、泥臭い努力の歴史があることが判明しました。
かつての野球部マネージャーが、笑いの殿堂で主役となる姿は、多くの人々に勇気を与えています。
これからも「たくろう」の赤木裕さんがどのような新しい笑いを見せてくれるのか、その活躍から目が離せません。



2025 M-1優勝おめでとうございます!
今後のご活躍を期待します。











