【2025年最新】青木政憲の生い立ち:優等生から孤立した殺人犯への転落

長野県中野市で4人を殺害した青木政憲(あおき・まさのり)被告。

市議会議長の長男として恵まれた環境で育った彼が、なぜ凶行に至ったのでしょうか。

その生い立ちは、活発で将来を期待された少年が、大学での挫折をきっかけに周囲から孤立し、深い闇へと堕ちていく過程を浮き彫りにします。

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目次

青木政憲の生い立ち:活発だった少年時代

事件後の人物像とは裏腹に、青木被告の少年時代を知る人々は「活発だった」「普通の子供だった」と口を揃えます。

地元の名士の長男として、何不自由ない環境で育った彼の前半生は、順風満帆に見えました。

幼少期〜小学校時代:野球に打ち込む元気な子供

幼い頃の青木被告は、明るく元気な子供でした。両親の証言によれば、友達とよく遊び、ひょうきんな一面もあったといいます。

スイミングスクールに通うなど活発で、周囲からは「友達もたくさんいた」ように見られていました。

一方で、幼稚園の園長からは「多動児の傾向があるかもしれない」と指摘されたこともあったようです。

本人は卒業文集で「幼稚園の頃から戦争映画や洋画ばかり観ていた」と記しており、独特の感性を持っていたことがうかがえます。

小学校時代は少年野球チームに所属し、キャッチャーとして野球に打ち込みました。

卒業文集には将来の夢を「医者」と書いており、勉学にも意欲的だったようです。

しかし、この頃から一部の住民には「兄弟と比べて少し暗い印象」と見られるようになり、徐々に内向的な側面が現れ始めます。

中学校時代:「あおまちゃ」と呼ばれ親しまれるも、独特の世界観を持つ

中学校でも野球部に所属し、3年生になるまではレギュラーのキャッチャーでした。

同級生によると、おとなしい性格ではあったものの、いじめられるようなことはなく、「あおまちゃ」という愛称で呼ばれ、親しまれていたといいます。

自分から積極的に話すタイプではありませんでしたが、友達の話をよく聞く優しい少年で、友人も多かったようです。

しかし、その一方で独特の世界観を持つ生徒としても知られていました。

卒業文集には「この世で最も大切なのは『命』、二番目は間違いなく『金』」と、中学生らしからぬ達観した文章を綴っています。

この頃から、彼の内面に複雑なものが芽生え始めていたのかもしれません。

生い立ちに影を落とした大学での挫折と孤立

順調に見えた青木被告の人生は、高校進学後から少しずつ歯車が狂い始めます。

大学でのつまずきが決定打となり、彼は深い孤立の道へと進んでいくことになりました。

高校時代:友人ゼロの3年間と成績の低迷

県内有数の進学校である長野県須坂高校に進学したものの、ここで彼は大きな壁にぶつかります。

父親の証言によれば、青木被告は「高校3年間友達はいなかった」といい、周囲とのコミュニケーションをうまく取れずに孤立していたようです。

小中学校時代とは対照的に、親しい友人ができなかったことは、彼の心に大きな影を落としたと考えられます。

学業においても成績は低迷し、現役での大学進学は叶いませんでした。

大学中退と精神的な変調:「盗聴されている」という被害妄想

一年の浪人生活を経て、東海大学の情報通信系学部に進学し、一人暮らしを始めます。

しかし、ここでの生活が彼の人生を大きく狂わせました。

大学の環境に馴染めず、次第に精神的に不安定になっていったのです。

実家を訪れた両親に対し、「部屋に監視カメラがある」「盗聴されている」といった被害妄想を訴えるようになります。

両親がそれを否定すると、「なんで俺のことを信じてくれないんだ」と激怒したといいます。

この出来事をきっかけに、両親は彼を実家に連れ戻し、大学は中退となりました。

精神科への通院も勧められましたが、本人が「俺は正常だ」と拒否し、医療につながることはありませんでした。

帰郷後の引きこもり生活と銃への傾倒

信濃毎日新聞

大学を中退し実家に戻った後の青木被告は、社会との接点をほとんど持たず、実質的な引きこもり状態に陥ります。

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時期経歴・状況
大学中退後父親に半ば無理やり自衛隊に入隊させられるも、2〜3ヶ月で除隊したとの情報がある(後に報道から削除されており誤情報の可能性も)。
実家の果樹園「マサノリ園」やジェラート店の手伝いをしていたとされるが、実際にはほとんど働いていなかったという証言が多い。
2015年〜狩猟免許を取得し、ハーフライフル銃1丁、散弾銃2丁、空気銃1丁の計4丁の銃を所持。クレー射撃場に通っていた。
事件直前飼い犬の散歩以外はほとんど外出せず、近所付き合いもなかった。
近隣住民からは「あいさつもしない」「機嫌が悪いと叫びながらうろつく」などと不審に思われていた。

父親は市議会議長、母親は複数の事業を手掛けるやり手、弟は自衛官、妹は体育大学を卒業と、活発な家族の中で、青木被告だけが社会から孤立していました。

この「華やかな印象の家族」との対比が、彼の孤独感や劣等感をさらに深めた可能性は否定できません。

現在、青木被告は殺人の罪で起訴され、裁判員裁判の初公判が2025年9月4日に開かれました

法廷で彼は「黙秘します」と述べており、裁判では刑事責任能力の有無が最大の争点となっています。

検察側は、被告が事件で使用としたとみられるナイフを購入した2日後の2023年4月14日に弟に送ったLINEメッセージを証拠として提示しました。

メッセージには「ごっつええナイフこうたった」「人をいっぱい殺すで」などと書いてあったといいます。

また、被告の部屋には「人殺し大百科」という本もあり、その中に警察官が身に着ける防刃ベストについての記述があったと指摘しました。

まとめ:青木政憲の生い立ち

長野4人殺害事件の青木政憲被告の生い立ちは、恵まれた環境から一転、社会から孤立していく悲劇的な過程でした。

  • 幼少期から中学校までは、野球に打ち込む活発な少年で、友人にも恵まれていた。
  • 高校時代に友人ができず孤立し始め、大学進学後に人間関係でつまずき中退。
  • 大学時代に「盗聴されている」などの被害妄想を抱くようになり、精神的に不安定になる。
  • 帰郷後は引きこもり状態となり、社会との接点を失う一方で、銃への関心を深めていった。
  • 市議の父ややり手の母など、活発な家族の中で孤独を深めていったことが、事件の背景にあると考えられる。

法の下、適正な処罰が下されることを望みます。

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