
女性お笑いコンビ「紅しょうが」のボケ担当として、強烈なキャラクターで人気を集める熊元プロレスさん。
テレビや劇場で活躍する彼女ですが、どのような学生時代を過ごしてきたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、熊元プロレスさんの出身高校や大学などの学歴と、意外すぎる学生時代のエピソードについて詳しく紹介します。
この記事を読むと、以下のことがわかります。
- 熊元プロレスさんが通っていた大学と、わずか1年で中退した本当の理由
- 地元の神戸で過ごした高校時代の部活動や、ユニークな高校デビューの失敗談
- お笑い芸人を目指すきっかけとなった、少女時代の「モテたい」という切実な願望
- NSC時代にゆりやんレトリィバァさんと組んでいた幻のコンビのエピソード
熊元プロレスの最終学歴は?出身大学と中退の理由

熊元プロレスさんの最終学歴は、兵庫県にある
彼女は高校卒業後、歴史が好きだったことから学芸員の資格を取得するために同大学の史学科へ進学しました。
しかし、大学は1年目の前期で中退という決断を下しています。
この短い大学生活の背景には、彼女なりの将来への真剣な葛藤と、若さゆえの誤算がありました。
ここでは、大学時代の具体的なエピソードと、中退に至るまでの経緯を深掘りしてみましょう。
夢見ていた学芸員の仕事と現実のギャップ
入学当初、熊元さんは博物館の学芸員や図書館司書として働くことを本気で夢見ていました。
歴史あるものに囲まれて仕事をすることに憧れを抱き、意欲的に勉強を始めようとしていたのです。
しかし、大学に入ってから現実の厳しさを知ることになります。
学芸員という職業は非常に人気が高く、資格を取得しても正規職員としての就職口が極めて少ない「狭き門」であることを知ったのです。
大学のオリエンテーションや先輩からの話を通じて、資格を取っても仕事に就ける保証がないという現実に直面し、彼女のモチベーションは大きく揺らぎました。

「歴史は好きだけれど、仕事にできないのなら大学に通う意味があるのだろうか」
という悩みは、入学直後の彼女にとって大きな壁となったようです。
女子大ならではの環境と「出会い」への落胆
将来への不安に加えて、キャンパスライフそのものに対する失望もありました。
テレビ番組やインタビューで彼女が語ったところによると、中退のもう一つの大きな理由は



「男子がいなかったから」
という非常に人間味あふれるものです。
彼女が進学したのは女子大学であったため、当然ながら学内に男子学生はいません。
インカレサークルや合コンなどに積極的に参加すれば出会いはあったかもしれませんが、当時の彼女は



「大学に行けば自然と素敵な出会いがある」
と漠然と期待していたのかもしれません。
期待していたキャンパスライフと現実とのギャップに肩を落とし、



「ここでは私の求めている青春は送れない」
と悟った瞬間でもありました。
「歴史は趣味でいい」という潔い決断
就職への不安と、出会いのない環境。
この2つの要素が重なった結果、彼女は



「歴史は趣味で楽しめばいい」
と完全に割り切る決断をしました。
入学からわずか数ヶ月での決断でしたが、このスピード感こそが現在の芸人としての「迷いのなさ」に繋がっていると言えるでしょう。
親御さんには申し訳ないという気持ちもあったでしょうが、自分の心に嘘をつかずに新しい道へ進むことを選んだのです。
その後、彼女はお笑いの世界へ飛び込むためにNSC(吉本総合芸能学院)の門を叩くことになりますが、もしこの時大学を辞めていなければ、現在の「紅しょうが」は存在していなかったかもしれません。
熊元プロレスの出身高校はどこ?学生時代の意外な部活動


熊元プロレスさんの出身高校は、地元の公立校である
現在は統廃合により神戸市立須磨翔風高等学校となっていますが、彼女が通っていた当時は歴史ある学校として知られていました。
特に制服が可愛いことで地元では有名であり、おしゃれに関心の高い女子高生たちから人気の高い学校だったそうです。
そんな華やかなイメージのある高校で、彼女はどのような青春時代を過ごしていたのでしょうか。
部活動やクラスでの立ち位置など、当時の様子を詳しく見ていきましょう。
ハンドボール部で培った体力と根性
高校時代の彼女は、ハンドボール部に所属し、汗を流す毎日を送っていました。
ポジションはゴールキーパーを務めており、チームの守護神としてゴールを守り続けていました。
ハンドボールは非常に激しい接触プレーも伴うスポーツですが、ゴールキーパーは至近距離から投げられる速球を体で止める恐怖心と戦わなければなりません。
現在の芸風に見られる、体を張ったリアクションや動じない度胸は、このハンドボール部時代に培われたものだと言えそうです。
公式プロフィールや特技欄にも「ハンドボールのゴールキーパー」と記載されており、彼女自身にとっても思い入れのある経験であることがうかがえます。
失敗に終わった「クールキャラ」での高校デビュー
部活動には真剣に取り組んでいた一方で、クラスでの人間関係作りでは大きな失敗を経験しています。
高校入学時、彼女は「クールでミステリアスな女子」を演じて高校デビューを目論んでいました。
「あまり喋らないけれど、何か雰囲気のある子」というブランディングを目指し、入学直後はあえてクラスメイトと距離を置き、誰とも話さずクールに振る舞っていたそうです。
しかし、その作戦は完全に裏目に出てしまいました。
周りの生徒たちは「話しかけづらい子」「怖い子」と認識してしまい、結果としてクラスで完全に孤立してしまったのです。
最初の2ヶ月ほどは友達が全くできず、休み時間もお弁当の時間も一人で過ごすという、寂しい高校生活のスタートとなってしまいました。
その後、これではいけないと気付き、本来の明るく面白い性格を徐々に出していくことで、ようやく周囲と打ち解けることができたそうです。
男子と話すための涙ぐましい「ドカベン」作戦
高校時代のエピソードとして、もう一つ有名なのが漫画「ドカベン」にまつわる話です。
なんとかして男子と共通の話題を作りたいと考えた彼女は、当時周囲の男子たちが野球漫画「ドカベン」を読んでいたことに目をつけました。



「ドカベンを全巻読破すれば、男子と対等に話せるはずだ」
と考えた彼女は、実際に全巻を読破するという驚異的な行動力を発揮します。
しかし、いざ男子たちの会話に入ろうとした時には、すでにドカベンのブームは去っており、別の話題で盛り上がっていたそうです。
結局、その知識を活かして男子と仲良くなるという目的は達成できませんでしたが、目的のために手段を選ばず努力する姿勢は、まさに熊元プロレスさんらしいエピソードです。
この「空回りするけれど憎めない」というキャラクター性は、現在の彼女のトークやネタの中にも色濃く反映されています。
熊元プロレスの小中学校時代とお笑いを目指したきっかけ


熊元プロレスさんがお笑い芸人を目指した根本的な理由は、実は「お笑いが好きだったから」というよりも、「とにかくモテたかったから」という非常にシンプルなものでした。
小中学校時代から、彼女は男子に注目されるために、普通では考えられないような様々な努力をしていました。
その行動の数々は、当時の同級生たちを驚かせ、結果として「面白い女子」というポジションを確立させることになったのです。
ここでは、彼女の原点とも言える小中学校時代の強烈なエピソードを紹介します。
「なめられたくない」一心で濡れ髪登校
小学生の頃、彼女はなぜか「周囲になめられたくない」「強い女だと思われたい」という願望を強く持っていました。
その結果たどり着いた答えが、



「毎朝、髪の毛をビチョビチョに濡らして登校する」
という行動でした。
髪が濡れていることで、何か只者ではないオーラを出せると信じていたようですが、周囲から見ればただの奇行にしか映らなかったことでしょう。
しかし、本人はいたって真剣であり、毎朝鏡の前で濡れた髪をセットしては「これで今日も大丈夫だ」と気合を入れて学校へ向かっていたのです。
この頃から、独自の感性と常人離れした発想力を持っていたことがわかります。
ワイルドさを演出するための「パン持参」
中学生になっても、彼女の「モテたい」「かっこよく見られたい」という探求心は止まりませんでした。
当時、給食や可愛いお弁当を食べている女子たちに対抗するために彼女が考えたのが、「大量のパンを持参して食べる」というスタイルです。
「給食を食べている男子から見れば、袋に入ったパンを豪快に食べている女子はワイルドでかっこよく見えるはず」
という、これまた独自の理論を展開していました。
菓子パンや惣菜パンを机の上に並べて食べる姿は、男子たちの興味を引くことには成功しましたが、それは「かっこいい」というよりは「面白いやつがいる」という興味でした。
しかし、こうした行動を通じて「人に注目される快感」や「笑ってもらえる喜び」を知ったことが、結果的に芸人への道を開くことになったのです。
芸人としてのキャリアとNSC時代のエピソード


大学中退後、彼女はお笑いの本場である大阪のNSC(吉本総合芸能学院)に35期生として入学しました。
NSC35期生は非常に豊作の年と言われており、同期にはゆりやんレトリィバァさん、濱田祐太郎さん、ガンバレルーヤ、ラニーノーズなど、現在メディアで活躍する人気芸人が多数在籍しています。
そんなライバルひしめく環境の中で、熊元プロレスさんはどのようにしてお笑いの才能を開花させていったのでしょうか。
ゆりやんレトリィバァと組んでいた幻のコンビ
実は、熊元プロレスさんはNSC時代に、あのゆりやんレトリィバァさんとコンビを組んでいた時期がありました。
コンビ名は「稲妻パンティーズ」という、インパクト抜群の名前でした。
二人とも強烈なキャラクターを持っており、もし続いていればとんでもないコンビになっていた可能性があります。
しかし、このコンビは本格的に活動する前に解散を迎えてしまいます。
お互いの方向性の違いや、それぞれがピン芸人としての適性や別の相方との可能性を模索する中で、自然と別々の道を歩むことになったようです。
その後、ゆりやんさんはピン芸人として大ブレイクを果たし、熊元さんは現在の相方と出会うことになりますが、お互いに今でも良き同期として交流があるそうです。
相方・稲田美紀との運命的な出会い
ゆりやんさんとのコンビ解消後、熊元さんは現在の相方である稲田美紀さんと出会い、「紅しょうが」を結成しました。
稲田さんはNSC33期生であり、熊元さんにとっては2期上の先輩にあたります。
先輩後輩のコンビというのは珍しくありませんが、結成のきっかけは熊元さんからの熱烈なアプローチでした。
当時、相方を探していた熊元さんは、周囲から「いい人がいる」と稲田さんを紹介され、実際に会ってみて「この人しかいない」と直感したそうです。
自分とは正反対のタイプである、シュッとした見た目の稲田さんに強く惹かれ、「組んでください」と何度も頼み込んだと言われています。
こうして結成された紅しょうがは、お互いの個性がぶつかり合う漫才スタイルを確立し、2023年には女性芸人No.1を決める大会「THE W」で見事優勝を果たしました。
大学中退という挫折や、数々の失敗を笑いに変えてきた彼女の人生は、まさに「芸人になるべくしてなった」ものだと言えるでしょう。
まとめ:紅しょうが熊元プロレスの出身高校や大学はどこ?学歴やエピソードを徹底解説!


熊元プロレスさんの学歴や学生時代のエピソードを振り返ると、彼女のユニークな感性が昔から健在だったことがよくわかります。
最後に、この記事のポイントをまとめます。
- 熊元プロレスさんの出身大学は神戸女子大学である
- 大学は学芸員を目指して入学したが、就職難を知り1年で中退した
- 女子大で男子がおらず出会いがなかったことも中退の理由の一つ
- 出身高校は兵庫県の神戸市立須磨高等学校である
- 高校時代はハンドボール部に所属し、ゴールキーパーを務めていた
- 高校入学時にクールなキャラを演じて失敗し、孤立した時期がある
- 男子と話すために漫画「ドカベン」を全巻読破する努力家だった
- 芸人を目指した原点は「モテたい」「なめられたくない」という願望
- NSC時代にはゆりやんレトリィバァさんとコンビを組んでいた過去がある
- 独自の感性と行動力が、現在の紅しょうがの面白さに繋がっている



今後のご活躍を期待します。











